セーフティ・アナーキスト

―現場の知恵と創造力を活かす

シドニー・デッカー 著
清川和宏/作田博/古濱寛 訳

現在の安全管理の考えかたは、官僚型でコンプライアンス(法令遵守)の要請が強すぎるため、現場の実務者は規則を守ることだけに注力し、安全について自ら考えることをやめてしまう傾向があるとデッカーは警告する。そして、本来の安全管理は、実務者の知識・能力とイノベーションに頼らなければ確立できないと主張し、理論だけではなく、実務者が明日にもできることを提案している。

書籍データ

発行年月 2022年1月下旬
判型 A5
ページ数 328ページ
定価 3,960円(税込)
ISBNコード 978-4-303-72993-6

概要

 本書を読んで、驚きの連続だった。そして少し気分も悪くなった。
 安全への取り組みがずっと進んでいると信じていた、いわゆる先進諸国の安全へのアプローチは、実はがんじがらめの官僚主義に無理矢理押し込まれており、本来、押し込めるはずのないものまで押し込もうとするがために、かえって現場は不安全になっているというのである。
 本書の言う官僚主義とは、規程化による安全実現ともいえるが、現場を守るための善意の規程化ではなく、管理者が自分の責任を現場に転嫁するための説明責任としての規程化ということなのである。曰く「階段を上り下りするときに手すりを持つこと(持たなければ、解雇される)、またはコーヒーを蓋つきのカップで確実に運ぶこと(そうでなければ、掲示される)」。確かにそうすれば安全なのだろう。しかし、それはその安全のために定められたのではない。もしそうしたことを定めていなければ、作業員に事故が生じたときには、管理者は自分の責任を問われることになってしまうから定めているのである。かくして、微に入り細を穿つ規程がどんどん定められ、さらに、規程を現場が守っているか、そのコンプライアンスを監視する役割とその規程が生まれ、その監視者がきちんと監視しているかを監視する役割とその規程が生まれ…という無限後退に陥る。それが現実なのだと著者は嘆く。
 こうした安全への官僚主義の結果、考えない現場、幼稚化した現場が生まれる。また監視のために膨大なコストがかかり、安全のための現場改善への投資に回るお金が乏しくなる。その結果、かえって不安全になる。それが誇張ではなく、実態なのだというのである。「より多くの規則を書き、より多くの書類をつくり、より多くのコンプライアンスを要求するというお決まりの方法よりも、もっと良い方法があることが示されている。(しかし)実際には正反対のことが行われている…」と著者はさらに嘆く。
 しかし、こうした事情は、欧米の文化からするとわからないわけでもない。
 欧米では、契約時には、事細かな契約書を交わさないといけない、ということをしばしば聞く。あらゆるケースを想定して、それに対して、事前に事細かに対応策を決めておかなくては先に進めない。これが彼らのリスク管理の常識なのだろう。だが現場は生きており、あらゆるケースを想定し尽くせるわけはない。常識溢れる現場を育て、その現場判断を尊重する、そうした安全があってもおかしくはないのではないか。それを著者は、アナーキズムという言葉に託している。つまり「階層的なトップダウンの権威ではなく、横並びの協調に価値を置いている」「人間の自主性と自己決定を再評価させ、職人の技量のプライドを正しく認識させ、また彼ら自身がつくっていない無意味なものを遵守するという強制から解放する職場」「無秩序ではなく、自己規制や相互の協調を生み出すこと」。端的に言えば、“現場を信じよ。信じられる現場をつくるために、管理者や経営者、当局は、自己保身のためではない行動をせよ”といえるだろう。
 契約書の話に戻ると、日本の契約書はシンプルである。要点を押さえたスケルトンが示され、「本契約に定めのない事項、又は本契約についての疑義が生じた場合は、本契約の趣旨に従い、甲乙誠意をもって協議し、解決するものとする」などとされるのが一般的である。つまり、常識と知性、教養ある大人同士が、同じ目標に向けて協力することが前提になっている。これが著者の言う「もっと良い方法があることが示されている」ということなのではないだろうか。
 ただ、日本においても、注意をしないと、著者の言う官僚主義に流されてしまうかもしれない。なぜなら、それが残念ながら現下の国際趨勢であり、また日本には「異国の神はきらぎらし(日本書紀)」という、海の向こうから渡来するものにあこがれを持ってしまう傾向があるからである。
 無論、日本の信義誠実の原則にも、おそらく弱点はあるはずである。同様に、いままでの日本の安全へのアプローチにも、弱点はあるだろう。「和魂洋才」ではないが、おそらく双方合わせた、より適切な安全へのアプローチというものがあり、それを求めていくことがこれからの安全において、最も重要なことといえるだろう。安全をどう実現するのか、ということは、文化であり哲学なのである。重要なことは、テクニックではなく、その使いかたである。包丁も使いかたを誤れば凶器になる。
 本書は、大きく起承転結の構造(目次立て)にはなっているが、どこから読み始めてもよいかも知れない。それぞれに、同意できるところ、同意できないところ、胸がすくように感じるところ、嫌悪を覚えるところがあるはずである。それを感じることが重要であり、それが私たちの安全へのアプローチを客観的に眺めていることになる。多くの気づきを与えてくれる、目を覚まさせられる図書である。
(早稲田大学理工学術院・小松原明哲教授「推薦の言葉」より)

目次

第1章 変革のための事例
 1.1 ようこそ、パラダイスへ
 1.2 負傷者が少ないほど、事故や死亡者が多い
 1.3 安全官僚制度の偉業
 1.4 コンプライアンスの限界
 1.5 官僚的な混乱

第2章 あなたにとって何がベストかを知っている
 2.1 誰が支配権を持っているのか
 2.2 国家は介入する
 2.3 会社もまた介入する

第3章 権威主義的高モダニズム
 3.1 標準化、集中管理、概要判読性
 3.2 作業者は愚かで、管理者と官僚は賢い
 3.3 官僚的な上部構造
 3.4 ウェーバーの官僚制度
 3.5 作業の地図をつくる
 3.6 概要判読性、業績管理、不正行為

第4章 安全官僚制度
 4.1 物事を難しくするのは容易である
 4.2 「価値のない仕事」
 4,3 官僚的な構造基盤
 4.4 増加する規制
 4.5 規制緩和と自己規制はより多くの官僚制度につながることがある
 4.6 作業者の責務、補償、「義務化」
 4.7 請負契約
 4.8 科学技術の能力
 4.9 官僚制度はより多くの官僚制度を生み出す

第5章 測定されるものは操作される
 5.1 測度が目標になれば、それはもはや測度ではない
 5.2 管理するための測定ではなく、測度を管理する
 5.3 休業災害と労働の経済学
 5.4 三角形は適用されない
 5.5 「良く見える指標」は得た、次は災害に向かってドリフトする

第6章 私たちが幼児化するとき
 6.1 幼児と乳母
 6.2 幼児化と振る舞いの修正
 6.3 幼児化の理由
 6.4 行われた作業には安全の不服従が潜んでいる
 6.5 安全専門家の役割

第7章 新たな信仰
 7.1 信念体系は権威、聖職、規則をもたらす
 7.2 ビジョン・ゼロと苦しみからの解放

第8章 非決定論的な世界
 8.1 世界を決定論的にする
 8.2 非決定論的な世界での安全
 8.3 世界は複雑である
 8.4 想像された作業と行われた作業
 8.5 地方固有の安全
 8.6 安全科学は地方固有の安全を追い出すのか?

第9章 アナーキー対アナーキズム
 9.1 アナーキズムの簡単な歴史
 9.2 自主性と内発的動機づけ
 9.3 多様性の力
 9.4 アナーキズムと複雑性
 9.5 アナーキストとして安全を管理する

第10章 解決方法
 10.1 すべてのものを取り除く
 10.2 ウールワースの実験
 10.3 ストーリーを語れ、数に麻痺するな
 10.4 成功を調査しなさい
 10.5 任せなさい、整理しなさい
 10.6 しかし…弁護士はどうだろう?